先日まで「胃が合うふたり」という新井見枝香さんと千早茜さんの往復書簡を読んでいた。
前回の行水スタイルで登場した「彼方からの手紙」しかり、読み物としての「往復書簡」というスタイルは結構好きだ。以前雑誌『Ku:nel』 で連載していた江國姉妹の往復書簡(自筆の写真が載っていた)とか、梨木香歩さんと師岡カリーマ・エルサムニーさんの「私たちの星で」など、ふと日々の暮らしで思い返したりするもののひとつだ。

往復書簡なら何でもいいのかというとそんなことはなくて、大好きな作家さんのものでも、げんなりして最後まで読めなかったものもある(今念頭にある本はほとんど本を処分しない私が手放したくらい嫌だった、我ながら珍しい)。だから形式が好きというよりは、この形式によってもたらされている何かが好きなのだと思う。この読めなかった本はその何かが見いだせなかった。
なんで好きなのだろう、と考えてみるに、「ちゃんと相手の話を聞いているから」のような気がする。
往復書簡はその形式の都合上、「最後まで相手の話を聞く」「パーツではなく全体のトーンを考えて、相手の言いたいことをくみ取る」ということをせざるを得ない。そして自分なりの解釈を書いてあまつさえ「こういうことかしら?」と問いかける。おまけに、これは第三者が読むことが前提の文章だから、内輪話にならないように俯瞰的な視点も持っているし、相手がこれまでの書簡を見てこれを読むということが分かっている(ふつう手紙って自分でコピーを取っておかないから、書いてからしばらくたってとても熱心な返事がきて「私何かいたっけ?」ってなことはよくあるわけだけど)。できるだけフックをお互いにしっかり掛けようと思っている、全力でお互いの話を聞く会なのだ。
日々の会話でそこまでかみ合った話というのはそうそうできない。すくなくとも私は。
だから、「対談」より「往復書簡」という形に惹かれるのかもしれない。「往復書簡」をまとめた本にはよく特別対談や座談会と称して書き手が直接話をするものがボーナストラック的に入っていることが多いけれど、あれは「往復書簡」あってのものであって、ときたまそれはいらなかったかもと思う時もある(私の勝手な感想だけれども)。リアルタイムのやり取りは手札をさらさずに相手に探りをいれることができるからか、これは編集の問題かもしれないが、「十全にかみ合った話ができている感」を感じることはあまりない。
こう書くと「真剣勝負」っぽい硬い空気が好きなようにも聞こえるけれど、もっと素朴に、相手の文章を読んで浮かんだ自分のふとした記憶の中の景色や香り、音が書かれている部分も好きだ。書き手からこぼれ落ちた水滴がぽつんと相手の水面に落ちて波紋が広がるように何かが伝わった、あるいは何かがつながったようなイメージが私の中に湧き上がるから。
ちはやんとあらいどんの往復書簡についてはまた次回にでも。


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