先日、珍しく家にいた週末の夕方ついていたテレビでリスボンの特集をやっていた。
リスボンには1回だけ、行ったことがある。まだ30代の頃の仕事関係の一人旅だ。
番組で登場する、場所、乗り物、食べ物……ほぼすべて見たことがあるものばかり。
あーそうそう、このエレベーター登ったよ、エッグタルトも食べに行った、市電で坂をのぼった。イワシもタラの干物も食べたけど、そんなにいいレストランじゃなかったしな。同じ網で焼いたのかイワシ匂いがすごいステーキも食べた。
隣で見ていた母が、「素敵ねえ」とつぶやいている。うん、今こうやってみるととても魅力的。
しかし、行った当時ってそんな風には思えなかったなあ。
もちろん、行ったときの思い出は色々あるけれど、こうやって眺めているようには楽しめなかった。
修学旅行で京都に行っても、お寺やお料理より、友達とのおしゃべり優先だったのに、年を取ってから妙に魅力的に見える京都の旅みたいに、今リスボンに行ったらもっと穏やかに楽しめる気がする。
ちょっとその当時のことを思い出したので書いてみる。当時はまだカメラの趣味はなかったので、古いサイバーショットのポケットに入るやつを持ち歩いて、適当に撮っていたはず。古い写真についてはまあ味だと思っていただきたい。もしかしたら、前のサイトに写真をあげてたかもしれないけれど。
出発前ギリギリまで仕事をしていたせいか、長時間のフライトで早朝に空港に着いて、珍しく時差ボケでぼやぼやしていた。そんな状況でタクシーに乗ったものだから、早速ぼられた。今でも覚えてるぐらいだから結構悔しかったのだろう。ホテルへの行き方を聞きに行ったインフォメーションセンターでタクシーをすすめられ、そこでチケットかなにか買えばよかったのだろうけれど、正規のタクシーだから大丈夫だろと油断したのだ。明らかに高い値段に疑問を呈するも、英語以外の言語をまくしたてられて、もういいやとあきらめてホテルに降り立った時には既にちょっと心折れていた。
当時はお金もたくさんあるわけではなく、仕事の場所までの経路がわかりやすい安いホテルを選んでいたから、ベッドと机とコート掛けがあれば上等。朝食が供される場所では、結構多くのヨーロッパの旅人が昼ご飯用にタッパーにリンゴやパンとチーズを取り分けているような感じで、パンには子供が握ったであろう指の痕が付いていたりした。
幸い部屋はきれいだったし、クーラーもそれなりに効いていたからアタリだったのだが、唯一の不安が、部屋の反対側に非常階段がついていて、そこにガラスのドアで直結していたこと。実際に怖い思いをしたわけではないが、なんとなくドアの前に荷物でバリケードを作って寝た記憶がある。
そんな状況だったので、その年の夏のものすごい暑さと石畳の道はものすごい勢いで体力を削った。だから、このテレビでいいねえとみているサン・ジョルジェ城の城壁をみても思い出すのは、缶のピーチティ一択だ。イギリスにいたころも、このリスボンにいったころも、冷たいコーヒーや紅茶が缶や瓶で売っているといことはほぼなかった。それが、初めて「iced peach tea」という缶の飲み物を売店で見つけた。コーラやオレンジジュース以外のさっぱりした飲み物って水以外になかったのだ。この城壁まであがってその上で買ったアイスティの美味しかったこと。汗を拭きながらアイスティをのんで、青い空、茶色の瓦の風景を眺めたのを憶えている。
くたびれ果てた結果、滞在期間中1日全く部屋から出られなかった日があった。前の日に寄った本屋(気が付いてなかったが、たぶんこれが世界最古の書店ベルトラン書店)で適当に買った恋愛小説を読み始めたら、起き上がれなくなり、結局最後まで読んで一日終わった。一人旅は色々したけど、こんなに疲れ果てて気持ちがへこんでいたことはなかったなあ。めったに来られない場所にいるのはわかっているのに外に出られないというのは焦りもあったけど、そうとう疲れてたんだろう。
あとは、仕事の関係で知り合った中国人の女の子と友達になって、一緒にロカ岬に行った。行く途中のバスの経路がいろは坂並みにグネグネで、気分が悪くなったその子にゴミ袋を提供したり、その子にそんなものを買うのは大バカ者だと罵倒されたロカ岬到達証明書を発行してもらったり、帰りの電車の中で恋バナをしたりした。きっとその子に会えたのは一生に一度だろう(今会っても多分わからない)けれど、到達証明書は私の部屋に今も飾ってある。
そんなわけで、私のリスボンの思い出は「素敵ねえ」とはずいぶんかけ離れたところにある。
こう書いてみるといわゆる若者の旅だなあと今なら思うけれど、当時はそんな風には思っていなかった。京都の修学旅行のように建物のありがたみがわかっていないというわけでもないけれど、こう今だったら、もう少しいいホテルに泊まって、無理しない旅程で、美味しいものを食べるだろう。そういう想定での「素敵ねえ」なのだ。逆にいえば、そんな突発的な現地で知り合った外国の人と片言の英語と中国語で旅行するなんてことはできないだろう。
私が人生で最初に出かけた海外旅行先はフィリピンだったけど、今この年で「水道水は飲まないように」「停電はデフォルト」「トイレに便座はあったらラッキー」みたいな旅ができるかというと、なかなか難しいだろう。だから人生でインドに行くタイミングは逸したかなという気がしているけれど、どうだろう。インド人の友人がいるから、彼らと一緒に行くなら行けるかもしれない。訪ねたい場所はいっぱいあるけれど、再訪したい場所も多いのだ。




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