【微熱日記】R5 謹賀新年。

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

 年末年始、皆様いかがお過ごしでしたでしょうか。今日は年末年始のお話をツレヅレに。
 私は例によって、28まで仕事して、買い出し行って、2日おせち作って、1日からコタツで寝こけておりました。ちなみにいえば、25にケーキをやいて鳥を丸焼きにしたのでした。つまりいつも通りの年末恒例を一通りこなしての正月です。結構きつい(例年のクリスマスの支度の話はこちら)。
 我が家は二人しかいないのに、なんでまた3段重のおせちをつくっておるのか、といわれると確かにそろそろ体力的に(作るのも食べるのも)しんどくなりつつあるのですが、その答えは「そこにお重があるから」といえましょう。

 このお重は海外生活を前に購入した、いわゆる嫁入り道具の一つだったのですが、当時は(今もかもしれないけれど)蒔絵や螺鈿で花なんかが描かれている重箱が主流で、購入した百貨店の方が本当にこれでいいのかと何度も確認してきたのをよく覚えています。本人は大変気に入って選んだのに、若いのにそんな地味なのでいいのかと。まあ確かに梅とか松とかめでたい系のモチーフもキラキラ光る柄もないけれど、内側の赤が赤すぎず朱すぎずでちょうどよく、味のある地に縁に赤が透けて見えるという具合で、こんなに気にいった器はかつてないというぐらいでしたから、いまでも年末にふとおせちを考えるとこのお重を思い浮かべて、これを使わないなんて……と思ってしまうのです。まあそのうち、1段だけでいいかってなりそうですけどね。

 なにせ、年に1回しかつくらない料理なので、10年以上このスタイルで作っているけれど、なかなかうまくなりませんね。忘れないうちに、レシピカードに追記しておくようにしているのですが、まあそれも年があけてコタツに座ってからで、忘れてしまうことも多く、去年やった失敗をまた……なんてこともよくあることです。むしろ「うまくできたときの条件を書いて置け、自分!」と思うのですが、食べてあっと思ったときには記憶は彼方へ。
 レシピは母直伝というわけでもなく、いつぞやに買った古いおせち料理の本や、実家にあった古い『今日の料理』がもとになっています。よく考えると、そもそもお料理で母直伝のメニューってあんまりないかもなあ。料理の手伝いはそれなりにしていたのですが、高校から弁当は自分で作れという家だったので、その辺から自己流になっちゃったのかもしれません。今思えば色々教えてもらっておけばよかったのに(というか今でも教えてもらえばいいのだけど、もはや台所でのお作法が違いすぎて並んで料理したりしなくなってしまった)。

 よく考えると、母も私も普段「定番メニュー」というのをもたない人種で、行き当たりばったりに作っているので、「あれが美味しかったから、また作って」に答えられないというところは似ているのかもしれません。我が家でも幻のメニューがいくつかあって、「牡蠣のホワイトシチュー」がその代表。牡蠣と長ネギがメインでホワイトソースではなく生クリームで作っていたという記憶はあるのですが、何度つくっても見た目は似ていても味は「コレジャナイ」。なにか大事な要素が抜けているのだと思うのですが、納得できるものができる前に味の記憶が薄れつつあります。

 過去のおせちの写真、一応撮ってあるので、今年が最終年の5年手帳の1月1日には5年分の写真が出そろいました。こう見るとあんまり変わっていないようで、ちょっとずつ変化していて不思議な感じです。レシピカードはまた箱に戻されて1年眠りにつきます。また1年後にぱたぱたとおせちを作る平和なお正月が迎えられますように。

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