TwitterがXになってもう2年だ(Wikiによれば2023/7/24からXになったらしい)。
昔のTwitterが好きで、Xに変わった時は、なんじゃそりゃセンスのない名前は!
お金持ちだけは無茶が許されるというのは、なんとも夢のないことよと思っていた。
その後もびっくりするようなルールの変更がいっぱいあって、同じ人が集っているはずなのにあっという間に別の物になっていった。
愛着のある鳥のマークが惜しくて、あれからずっとiPhoneのアプリを更新しないでいる。
セキュリティ的によろしくないのは重々わかっているのだが、最近の荒れ果てたXを見ているとなんとなく変えがたくて自動アップデートを切って地味に手動でアップデートしていた(他のアプリを手動での意)。が、ついにこの表示↓が出た。別に使えないわけではないけど、結構この表示が出るまでかかったな、というのが正直な感想だ。(Windowsみたいにアイコンを指定できないんだろか)

アップデートしていないからといって、昔のツイッターのままになるわけではなく、ただの馬鹿馬鹿しい感傷なのだが、手動アップデートを2年もやってる自分に呆れるばかりだ。
こういう過去を美化してしまうことは仕事でもよくあって、さらに良くないのはその戻れない過去の栄光をつい、形から再現しようとしてしまうことだ(自省をこめて)。
特に自分の修行時代に、所属していた部署や組織が黄金期とも言われるいい時代を過ごしてしまうと(おまけにその時の業績で生き残ってくると)、独立以降現在の状況がきつくなってきた時に、あの黄金時代をもう一度ということになる。
自分と上司の年齢関係や、組織での立ち位置、同時期にいるライバルたちとの人間関係やその当時の風潮……いろんなものがあって「いい時代」というのができているのだと思う。それを再現しようと、同じ感じのアクティブな人を集めてきて、さあいい時代の再開だ……とはならないのだ。もちろんその時代の色々は手がかりにはなるけれど、形を整えて自然な科学反応を待つというのは大概うまくいかない。海水に雷を落としたってそうそう生命は誕生しないのだ。意図してあるいは意図せぬそういう試みが不発に終わるのをたくさん見てきた。もちろんその効果は潜在的には将来にポジティブに働くこともあるだろうけれど、狙ったような効果はなかなかみられないものだ。そのひとつの要因は、下っ端(使われる人)の視点でみた印象を、自分が管理職の視点に立った時に当てはめてしまうせいなのかなと思う。接待でお爺さんたちの武勇伝を繰り返し聞かされるせいもあるかもしれないけれど。
もっと小さいところで言うと、昔やってうまくいっていた手法にこだわるのも同じこと。この辺になると自分にブーメランもいいところなので、そろそろやめるが、居心地が悪い時には今に起点を移動して再構築しなくてはいけない。ちょっとザワザワするけれど。
今更XのルールをTwitter時代に戻したところで、おそらくTLは昔の通りになるわけではない。去ってしまったアカウントも多いし、昔のTwitterが今求められているかというとそれも違う気がする。
そんなわけで、ちょっと再構築を模索して久しぶりにblogを書いてみている。
そろそろ鳥を手放す時が近いのかもしれない。


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